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河内長野 山に囲まれた地なれど交通至便!大阪府下で2番目の文化財保有数を誇る「文化財の街」

散策コース:河内長野)

大阪府南東部、河内地域の最南端に位置し、和泉山脈を挟んで和歌山県と接する河内長野市。

特に、市の中・南部は、東隣の千早赤阪村とともに「奥河内」と呼ばれ、周囲を和泉山脈などの山々に囲まれた、自然があふれるエリアです。

河内長野の風景

この河内長野は、古くは飛鳥時代に寺院が建立されるなど長い歴史を誇る街でもあります。

これまでに、戦乱などによる大規模な焼失もなく、市内各地には数多くの貴重な文化財が今も残されています。

国宝・国重要文化財に指定された文化財の数は、大阪府下では大阪市に次いで第二位。

京都や奈良、大阪などの有名な観光都市の影に隠れておりますが、実は、河内長野は、関西でも有数の「文化財の宝庫」なのです。

河内長野の名所(観心寺)

一方で、河内長野といえば、都市部から離れた山あいの地というイメージを持つ人も少なくありませんが、意外にもアクセス便利な地であることをご存じでしょうか。

大阪難波から電車(南海電車)に揺られて30分という、交通至便の街。

市内では、河内長野駅を起点に四方八方に路線バスが運行されており、各地に点在する名所を訪れる場合にも役立ちます。


また、山に囲まれているといっても、街中におけるアップダウン(高低差)はそれほど大きくありません。

気軽にハイキングや街歩きを楽しめるのも河内長野の魅力の1つです。


さて、この「文化財の街」河内長野の中心的な存在は、観心寺金剛寺です。

ともに長い歴史を誇るお寺であり、貴重な文化財も多数残ります。

また、両寺には、南北朝時代、特に南朝との関連が深いという共通点もあります。


今回は、観心寺と金剛寺を中心に、河内長野の見どころをご紹介しましょう。


<観心寺>

観心寺は高野山真言宗のお寺。

飛鳥時代後期の創建と伝わりますが、実際に発展したのは平安時代前期。

空海(弘法大師)が高野山を開いた際に、京から高野山への途中の拠点として、空海の弟子によって造営されました。

一方で、観心寺は、鎌倉時代後期~南北朝時代に活躍した河内の名将、楠木正成ゆかりのお寺としても知られます。

観心寺

入口の山門から境内に入ってまっすぐ進むと、正面に、朱色の柱と漆喰の白壁のコントラストが美しい建物が見えます。

これが観心寺金堂。室町時代初期(南北朝時代)の建築物で、国宝に指定されています。

全体的には、平安時代までの伝統的な様式である「和様」の建物ながら、扉や窓など随所に「禅宗様」と呼ばれる新しい様式を取り入れた、「折衷様」の典型例です。


金堂には、弘法大師が刻んだとされるご本尊、如意輪観音像が安置されています。

平安時代前期の作でこちらも国宝指定。

ただし、この観音様は秘仏で普段は拝むことができません。毎年4月17日と18日の2日間に限りご開帳されます。

観心寺金堂

金堂の東側には建掛塔という変わった名前の建物があります。

こちらも金堂と同じく南北朝時代に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

建掛塔は、一見すると普通のお堂のように見えますが、本来は、楠木正成により「三重塔」として建築が始められた建物です。

着工したものの、責任者である正成公が湊川の戦い(湊川神社参照)で足利尊氏に敗れ、自刃したために、その後の工事が中断してしまったという逸話が残ります。

「建て掛け途中で放置された塔」ということで、こんな名前で呼ばれるようになりました。

観心寺建掛塔

<金剛寺>

金剛寺は、真言宗御室派のお寺。

奈良時代天平年間に行基が創建したと伝えられ、また、弘法大師が修行したという話も残ります。


金剛寺にも、金堂や多宝塔などの貴重な建築物が数多く残ります。

なお、ここ数年、金剛寺では、金堂を解体しての大規模な修復工事が行われていましたが、その工事も終了。

平成30年3月に落慶法要が行われる予定です。

金剛寺

金剛寺金堂は平安時代後期に建てられた和様の建築物で、国の重要文化財指定。

この金堂には、大日如来、不動明王、降三世明王の三体(三尊像)が安置されています。

三尊像はそれぞれ像高が2m~3mという大きな仏像。大日如来の悟りの表情と左右の明王の憤怒の表情とが対照的です。

なお、三体とも平成29年に新たに国宝に指定されました。

(注)国宝の三尊像は、金堂解体修理工事のため、現在は、京都・奈良の国立博物館に預けられていますが、平成30年の3月に金堂に戻る予定です。


多宝塔は平安時代後期の建築物で、日本最古とも言われる石山寺(滋賀県大津市)の多宝塔(国宝)と同時期の建立です。

この多宝塔も、金堂と同様、国の重要文化財の指定を受けています。

金剛寺境内(多宝塔、金堂、食堂)

この金剛寺は、南北朝時代の南朝とのゆかりも深いお寺。

後醍醐天皇の後継者で南朝二代の後村上天皇が一時期ここに行宮を置き、お寺の食堂(じきどう)を正庁として執政を行っていました。


また、南北朝の対立の中で、北朝方の皇族(上皇や皇子)が南朝に捕らわれ、この金剛寺に数年間も幽閉されていたことがありました。

金剛寺は、相対立する北朝の上皇と南朝の天皇が同時期に暮らした、珍しい場所なのです。


北朝上皇の軟禁場所であった奥殿(北朝御座所)は今も金剛寺に残されており、内部見学可能です。

また、奥殿の前には、枯山水の美しい庭園(観蔵院庭園)が広がります。

近くには金剛寺に残る宝物の収蔵庫もあり、南北朝時代の防具や楠木正成の自筆の書状などが展示されています。

金剛寺奥殿・庭園

また、観心寺や金剛寺の他にも、河内長野には、次のような名所や文化財が残ります。


例えば、河内長野駅近くにある長野神社

ここには、一間社流造の小さいながらも古風な本殿が残ります。

室町時代の末期に建てられたものとされ、国の重要文化財の指定を受けています。

境内に立つ「かやのき」の巨木(大阪府天然記念物)も、見どころの1つです。

長野神社本殿

また、河内長野駅から南西に15分ほど歩くと、烏帽子形山という小高い山を中心に整備された烏帽子形(えぼしがた)公園があります。

この公園内にある烏帽子形八幡神社という神社にも、国の重要文化財の指定を受けた本殿が残ります。

こちらは正面三間、奥行き二間の社殿。室町時代の建築物です。

烏帽子形八幡神社本殿

なお、烏帽子形山には、その昔、烏帽子形城という山城がありました。

烏帽子形城は、鎌倉時代末期、後醍醐天皇に味方して兵を挙げた楠木正成が、幕府軍に対抗するために南河内に築いた「楠木七城」の1つ。

現在の烏帽子形山には、曲輪(くるわ)の跡など、当時のお城の遺構が残されています。

また、烏帽子形城跡は国の史跡に指定されており、近年、少しずつではありますが整備が進められています。

烏帽子形城跡

山頂付近にある曲輪跡は、河内長野の街並みや周囲の山々を見渡せる好眺望のスポット。

烏帽子形山は周囲との標高差50mほどの丘のような山で、大人の足なら15分程度で山頂までたどり着けます。

お時間ありましたら、街歩きの合間に軽く登ってみましょう。

烏帽子形城跡からの眺望

スポット情報

<観心寺>

住所 大阪府河内長野市寺元475
最寄り駅 (南海・近鉄)河内長野駅から徒歩45分、(南海)三日市町駅から徒歩35分
(河内長野駅から南海バス利用の場合)観心寺バス停下車、徒歩3分
拝観時間 午前9時~午後5時
入山料 大人300円 小中学生100円
(毎年4月17日と18日のご本尊開帳日は特別拝観料700円)
ホームページ 観心寺


<金剛寺>

住所 大阪府河内長野市天野町996
最寄り駅 (南海・近鉄)河内長野駅から南海バス利用、天野山バス停下車、徒歩すぐ
拝観時間 午前9時~午後4時30分
拝観料 (伽藍)200円 (北朝御座所・庭園)400円
(伽藍・庭園共通券)500円
ホームページ 天野山金剛寺


<長野神社>

住所 大阪府河内長野市長野町8-19
最寄り駅 (南海・近鉄)河内長野駅から徒歩3分
備考 境内参拝自由


<烏帽子形八幡神社>

住所 大阪府河内長野市喜多町305
最寄り駅 (南海・近鉄)河内長野駅から徒歩15分
備考 境内参拝自由

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